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お茶会のお手伝いをしてきました!


 昨日は上野の東京国立博物館の中にある、1742年に建てられたという歴史ある建造物、応挙館(※下記ご参照)でお茶会があり、お手伝いに行って来ました。
 私の係はお茶菓子のセットでしたが、どの茶器も菓子器も大変高価(一つでヨーロッパ旅行ができる値段とのこと!)で、割らないようにビクビクしながらお手伝いさせていただきました。
 席主をされた表千家のお師匠様は92歳になられたそうですが、キリキリシャンシャンされてて、とってもお元気!
 そーっとお側に寄って、少しパワーを分けていただきました。
 ろくにお点前もできない、なんちゃって孫弟子ですが、雅な世界をのぞき見したようで、得難い貴重な経験をさせていただきました。

 上野公園もポケモンたくさんいましたが、時間がなくて走り抜けてしまったのが残念!

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※名古屋市郊外の明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝氏(鈍翁)邸内に移築、昭和8年(1933)当館に寄贈されました。室内に描かれている墨画(現在は作品保護のため複製)は、円山応挙が明眼院に眼病で滞留した折に揮毫したものと伝えられています。 (東京国立博物館ホームページより)
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榊の不思議のお話

 不思議な榊のお話です。

 当社の事務所には、豊川稲荷の荼枳尼天様をお祀りしていて、神棚に榊をお供えしていますが、1週間ぐらいで枯れて来るので、大体毎週お取り替えしています。
 そして自宅には伊勢神宮と京都の出雲大神宮、奈良の橿原神宮と地元の氏神様をお祀りしていますが、その自宅の神棚前に飾ってある榊が、実はもう1年半以上経つのに、まったく枯れないんです!?
 (もちろん根も出ていません。水換えはせいぜい週に一度です)

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 これは京都亀岡の出雲大神宮で奉納した玉串をいただいてきたもので、元々がご神体である御山に生えている御神木とのことでしたが、それにしても不思議だなーとずっと思っていました。
 会社の1階が花屋さんなので、一度実物を持って行って見てもらったところ、「これは『真榊(本榊)』ですね。関東では生育しないため、市場に出ることはまずないです。もともと強い植物ですが、それにしても凄いですね」とのことでした(関東で普通お花屋さんで売っているのは『ひさかき』と言って、安価に流通しているほとんどが外国産だそうです)。

 たまたま先日鹿児島に行き、義父の実家にご挨拶に立ち寄ったところ、畑に出荷用の真榊があるとのことでしたので、お願いして送っていただきました。
 もしこの真榊が出雲大神宮でいただいた榊のように長持ちしてくれたら、素晴らしいのですが!
 とりあえず2週間ぐらい経ちましたが、まだ枯れて来ていません。
 経過はまたご報告します。

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 会社やご自宅に神棚があって、真榊を欲しい方がいらっしゃいましたら、ご紹介しますので、ご連絡下さいね。

北海道に行ってきました

 北海道に行って来ました。
 前回はいつだったか、いずれにしても数年ぶりになります。
 北海道は、小学校の時に尾札部で昆布農家をしている親戚の家に何度か、中学校の修学旅行、シグマの札幌プライベートショー、ナムコさんのプラボ小樽のオープンにクリスタルビンゴを納品に、それからAOUの全国大会が2011年、それぐらいだったかと思います。
 たぶん、一通り観光地を観てはいるんでしょうが、あまり印象がなくて、それが今回は時間に余裕があったので、お客様にあちこち連れて行っていただいて、初めて旅行らしく北海道を満喫してきました。

 まず、着いた日に鮭の遡上を見て来ました。
 千歳川の流域はとても紅葉がきれいで、秋の穏やかな日射しの中を、ゆっくりと歩かせていただきました。 
 そして、川にはたくさんの鮭が一生懸命上って来ていました。
 ただ、途中で堰き止められていて、これ以上上ることができません。
 一日のうちに何度か、時間が来ると岸側にある水車で絡め捕られて、人工孵化場に回されるのだそうです。
 聞いていて、ちょっと切ない気持ちになってしまいました。
 何万キロの旅の末に、自分が生まれた川を忘れずに戻ってきて、さあ、これから伴侶を探して子孫を残そうとしたところを一網打尽にされ、人工ふ化のために卵をとられて一生を終えるのです。
 そのように生産管理をされている皆さんのお陰で私たちが安定した値段で鮭を一年中食べることができるのは理解していますが、もし鮭の漁獲量が減って、日常的に食べられなくなったとしても、鮭たちに自然の営みを遂げて一生を終わらせられるようにしてあげたいと思う私は偽善者かな、、、そんなことを思いながら、行き場なくうろうろと回遊する川面の鮭たちを眺めてきました。

鮭

 次に大倉山のジャンプ場に行って来ました。
 私の世代は、冬季オリンピックと言えば札幌です。
 70m級ジャンプの日の丸飛行隊、笠谷、青地、金野が表彰台を独占した映像は今も鮮明に浮かんできます。
 そのジャンプ台の上に立った時は足がすくみましたが、なんと!どこかの大学の選手が3人練習をしていて、目の前を何度もビュー!っと滑って行きました。
 うー、尊敬します!!

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 ほかにも、ひつじが丘、時計台、道庁と、たくさんの有名スポットを訪れることができました。
 時間に余裕を持って日曜日出発にし、また、ご親切にご案内して下さるお客様のおかげで、修学旅行のような楽しい時間を過ごさせていただくことができました。
 心より感謝申し上げます。

 最後に、ちゃんと仕事もしてきましたし、ゲームセンターの視察もして来ましたので、念のためご報告致します。
 
ラウンドワン札幌すすきの店

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ナムコ札幌エスタ店

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知覧、ずっと行きたかった場所に行って来ました。


 10月1日から4日まで鹿児島に行ってきました。
 本来の用事は10月3日でしたが、土日を挟んでいたので少し早く現地入りし、ずっと行きたかった知覧の特攻平和会館と、特攻の母、鳥濱トメさんの富屋食堂に行ってきました。

 特攻作戦は、米軍が沖縄南西にある慶良間列島に上陸した昭和20年3月26日から始まった、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして、パイロットは必ず亡くなるという「必死」条件の作戦でした。
 鹿児島、宮崎など九州各地、そして当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃していますが、知覧がもっとも多く、特攻戦死者1,036名のうち439名が亡くなっています。
 多くは17歳から22歳の、若い方達だったそうです。

 1,036名のご遺影を拝しながら、皆さんが書かれた遺書を拝読しましたが、達筆でまた内容も素晴らしく、本当にその年の子たちが書いたものなのかと驚きました。
 聞けば、当時の航空士官学校は大変な狭き門で、全国から100倍以上の難関をくぐりぬけて合格した、とても優秀なお子さんたちだったそうです。
 私の田舎、秋田からも9名の方が亡くなられています。
 皆さんがご存命なら、日本の復興にどれだけ貢献されただろうと、お一人お一人のお顔を見ながら涙が止まりませんでした。

 うちの子とほぼ同年代の未来ある若い精鋭たちを無情に死にに行かせた戦争。
 この時代に生きる大人として、この国を二度と戦禍に陥れることのないように、人間同士が殺し合いをするような馬鹿げたことの起きない世界にしていかなければと、改めて胸に誓った次第です。

 長崎原爆記念館、広島原爆記念館に続き、知覧平和会館も見ることができました。
 残りは沖縄のひめゆりの塔、いつか必ず行きたいと思っています。

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特攻作戦に使われたゼロ戦のレプリカ。

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作戦に向かう直前の数日間を過ごした三角兵舎。出撃の朝、布団を片付けると、ぐっしょりと濡れている枕もあったそうです。
プロフィール

株式会社フロック高倉章子

株式会社フロック高倉章子
新卒でゲーム業界に飛び込み早や35年目、日本のゲームセンターの歴史とともに歩んできた仕事人生でした。世界中のゲームに携わるお仕事をされている方たちが、笑顔になれるお手伝いをさせていただきたいです♪

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