知覧、ずっと行きたかった場所に行って来ました。


 10月1日から4日まで鹿児島に行ってきました。
 本来の用事は10月3日でしたが、土日を挟んでいたので少し早く現地入りし、ずっと行きたかった知覧の特攻平和会館と、特攻の母、鳥濱トメさんの富屋食堂に行ってきました。

 特攻作戦は、米軍が沖縄南西にある慶良間列島に上陸した昭和20年3月26日から始まった、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして、パイロットは必ず亡くなるという「必死」条件の作戦でした。
 鹿児島、宮崎など九州各地、そして当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃していますが、知覧がもっとも多く、特攻戦死者1,036名のうち439名が亡くなっています。
 多くは17歳から22歳の、若い方達だったそうです。

 1,036名のご遺影を拝しながら、皆さんが書かれた遺書を拝読しましたが、達筆でまた内容も素晴らしく、本当にその年の子たちが書いたものなのかと驚きました。
 聞けば、当時の航空士官学校は大変な狭き門で、全国から100倍以上の難関をくぐりぬけて合格した、とても優秀なお子さんたちだったそうです。
 私の田舎、秋田からも9名の方が亡くなられています。
 皆さんがご存命なら、日本の復興にどれだけ貢献されただろうと、お一人お一人のお顔を見ながら涙が止まりませんでした。

 うちの子とほぼ同年代の未来ある若い精鋭たちを無情に死にに行かせた戦争。
 この時代に生きる大人として、この国を二度と戦禍に陥れることのないように、人間同士が殺し合いをするような馬鹿げたことの起きない世界にしていかなければと、改めて胸に誓った次第です。

 長崎原爆記念館、広島原爆記念館に続き、知覧平和会館も見ることができました。
 残りは沖縄のひめゆりの塔、いつか必ず行きたいと思っています。

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特攻作戦に使われたゼロ戦のレプリカ。

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作戦に向かう直前の数日間を過ごした三角兵舎。出撃の朝、布団を片付けると、ぐっしょりと濡れている枕もあったそうです。
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株式会社フロック高倉章子

株式会社フロック高倉章子
新卒でゲーム業界に飛び込み早や35年目、日本のゲームセンターの歴史とともに歩んできた仕事人生でした。世界中のゲームに携わるお仕事をされている方たちが、笑顔になれるお手伝いをさせていただきたいです♪

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