今日はシグマの真鍋社長のご命日です
今日はシグマの真鍋社長のご命日です。
亡くなられてから、今年で13年になりました。
例年、シグマのOB・OGが集まって、みんなでお墓参りに伺っているのですが、今年はこのような状況のため、先日、一人で行って参りました。
真鍋社長が今のゲーム業界の状況をご覧になられたら、なんとおっしゃるでしょうか。
改正風営法の施行、バブル崩壊、阪神淡路大震災、リーマンショック、東日本大震災と、数々の逆風にも何とか耐えてきた私たちですが、今回のコロナ禍は今までとはまったく違います。
今、こういう時にこそと思って、真鍋社長のご著書を改めて読み返しているところです。
昨年、メダル研究会の資料として、『これからますます四次元ゲーム業界が面白い』から、メダル運営に参考になりそうな部分を抜粋してメンバーにお配りしました。
シェアさせていただきますので、どうかご参考になさって下さい。
真鍋社長の大好きだったお言葉は、Never Give Up! です。
ゲーム業界の皆さん、頑張りましょう!!
『これからますます四次元ゲーム産業が面白い!』
株式会社シグマ 代表取締役社長 真鍋勝紀 著
(1998年10月12日発行)

ダイジェスト
P.2
私は、趣味らしい趣味もない不器用な男で、一瞬のひらめきで物事を理解したり、アイデアが湧いてくるタイプでもない。ひとつの好きなことを選び、その道を信じて努力し続けていると何とか人に勝てる、という信念を実践に移してきただけである。
P.34
「故障中」という札が嫌い。機械が故障するのは日頃のメンテナンスがなってないから。お客様の前で故障を修理するのはサービス業として失格。
P.38
1983年10月。カジノ用ゲーミングマシンの製造者としてのライセンス取得。ネバダ州が海外企業にライセンスを与えた最初。
P.39
コンシューマーゲームと業務用のゲーム機が提供する価値はまったく別のもの。また、その違いにこそ、私たちゲーム屋が活躍する意味が存在する。
P.41
コンシューマーゲームと業務用ゲーム機の違い
(コンシューマーゲームは)自宅にゲームはあるが、ゆったりとゲームに浸って流れる「時間」はない。街にあるゲーム場の価値は、たた単にモニターが大型で新しい種類のゲームが揃っているだけではない。それらが形成する非日常的な空間を、いかに快適なものにし、時間の経過をいかに楽しんでもらえるかが、ゲーム場のオペレーターの腕であり、使命である。
私たちの産業はサービス業の一つである。きれいな施設を作り、最新の機械ゲームを導入しようとも、それだけでは快適な時間の経過を提供することは難しい。そこに必要となってくるのは、人によるサービスである。機械と人とを媒介するのは人であり、快適な時間の流れを演出するのも、より多く人にかかっている。
快適環境を作り出し、より新鮮な面白いゲーム機を設置する、いわば三次元ゲームの段階を越えて、さらに充実した非日常の“時間”を提供するという意味で、私は自分が生涯をかけているビジネスを「四次元ゲーム産業」と呼んでいるのである。
P.44
株式会社シグマの理念
株式会社シグマの基本は人間を科学することに依り始まる。
我々は、科学技術と人文科学の接点である機械ゲームの開拓を目指す。
我々は機械ゲームの提示を通じて、現代に失われつつある人間性の回復に貢献する。
社是の類としては、ずいぶん抽象的な理想論のように受け取られるかもしれないが、機械ゲームを扱うには、このような基本路線に立って進んで行かないと、先の長いビジネスはできないと信じている。
目先のことだけを考えて、儲かった損したと一喜一憂していると、そのうちに息切れしてしまうだろう。
P.55
メダルゲームという摩訶不思議なシステム
私とシグマが機械ゲームの業界で多少は知られるようになったのは、メダルゲームというシステムを考え出し、実験を経て、そのシステムをメインにしたゲーム場をオープンしてからである。
P.58
メダルゲームというのは、ギャンブルマシンを日本で使えるようにするためだけのシステムではなく、機械ゲームの将来を拓くシステムとして考案したのである。それはまた増大し、行き場を失いつつある現代の、とりわけ大都市のレジャーニーズに対応する最も効果的なシステムであるという信念からであった。
P.67
おんだらいよもんじゃけん おんだらいよもんじゃけん
いなかのすねぐろよ いなかのすねぐろよ
なんぼすねぐろじも なんぼすねぐろじも
ゲームやどうしじゃもん ゲームやどうしじゃもん
きよったらよっちゃんないや きよったらよっちゃんないや
いもぐらいはあるじゃがけん いもぐらいはあるじゃがけん
俺たちは伊予者だから、田舎の脛黒(脛まで黒くして働いている貧しい百姓)だよ。
そんな貧乏な百姓でも【ゲーム屋どうしだから】こっちへ来る機会があったら、俺の家にも寄って下さい。
畑で丹精込めて育てた芋ぐらいはふかして待っていますから。
P.98
機械ゲームの3段階
①ワイルド・ゲーム ギャンブルマシン
②セミ・ワイルド・ゲーム パチンコ、クレーンゲーム
③シビライズド・ゲーム アミューズメント純粋ゲーム
P.100
商業賭博のパラドックス
商業賭博は、結果的には胴元が勝ち、子、すなわちプレーヤーが負けることを基本としている。ところが誰もが勝つことを確信している。ここに誤解がある。
P.101
もちろんカジノで“勝つ”人もいる。それは穴の後には穴が出やすいという確率論のポアソン分布などによって、一時的に、あるいは部分的に勝つ人が存在しているだけなのだ。すべてのギャンブルにおいて、プレーヤーは徐々に、そして確実に負けていくのである。
P.102
魅力的な野獣を都市で楽しむ
日本では、ギャンブルマシンをギャンブルとして使うのは違法である。その野獣のようなゲームを日本で楽しむ方法はないだろうか。野獣を檻に入れて、牙も爪も人間に触れないように管理する。それでもなお野獣は、都市という過密空間のなかで十分に魅力を発揮するのではないか。檻のなかの野獣でも、その楽しさを味わうことができるはずである。
「野獣である機械ゲームの動物園を作れないか」
そう考えた時、通貨であるコインではなく、メダルを使用し、獲得したメダルは一切換金や換物をせず、すべて店に返してもらうというシステムが頭に浮かんだ。
P.125
機械ゲーム場でも、訪れたお客様にマイナスイメージを与えてしまうのは、機械そのものよりも人的な要素、つまりスタッフの応対である場合が多い。常に新鮮で魅力的なゲームを提供するとともに、人的なサービスを徹底して行うことが、私たちシグマの基本姿勢となっている所以である。
P.138
農耕民族型ビジネスと狩猟民族型ビジネス
私は、ビジネスには農耕民族型と狩猟民族型との二つの種類があると思っている。
私が選んだオペレーターのビジネスは、明らかに農耕民族型である。
それを選択したのは、資金力がなかった、知識もなかった、そして獲るか獲り損なうかで大差が生じる、狩猟のリスクの大きさに耐えるだけの資金力も体力もなかった。
もともと私は農耕民族型的な性格でもあり、同じ種子を蒔いて育てていくなら、大事に丹念に手をかけることによって、同じ天候の条件下でも、人より多くの収穫を得ることができるに違いないと考えたからである。他の農夫が三日に一度しか手入れしないなら、毎日手入れをする。鳥や小動物に荒らされない手立てを考え出す。より収穫の良い種子を探す。その努力は必ず収穫の差となって戻ってくるはずである。
P.141
機械ゲームを並べただけのゲーム場は、私の理論で言えば、三次元のレジャー空間に過ぎない。その空間での事件の経過に価値があり、それを楽しんでもらえる条件を欠いているからである。
機械ゲーム産業はサービス業である。自動販売機で“物”を買う人たちは、ただ、手軽さ、便利さを求めて機械にコインを投入する。機械ゲームが販売するのは“物”ではない。そして機械ゲームの置かれる空間は、人が機械と人とのコーディネーターの役を果たさなければ、四次元のレジャー空間には決してならないのである。
P.145
お客は汚すもの、汚れた施設はどんどん汚れる
私は、お客様は施設を汚すものである、と考えていた。お金を払ってきて下さるお客様に、マナー向上のための説教など、お金をいただく施設側ができるわけがない。そして汚れた施設はどんどん汚されるというのも、人間の心理を考えれば当然である。
レジャー施設を汚すのは、普段は良識ある社会人である。とすれば、いつもきれいに清潔にしておけば、なかなか汚されない。汚されたら、すぐにきれいにすればよい。私たちが営業している施設では、それが当初から鉄則となっていた。
P.203
欧米先進諸国に比べて部分的には遅れている日本でも、モノ離れは確実に進んでいる
物は我々の現実生活を満たすための三次元的な価値観に裏付けられている。かつて非生産的な時間を享受してきた特権的な階級は、芸術やスポーツに代表されるような、素養と長時間に及ぶ鍛錬を必要とする分野で、これを消費してきた。
非生産的な時間が大衆化され、圧倒的多数がこれを消費できるようになったいま、産業もモノ離れの潮流に対応して変貌せざるを得ないが、非生産的な時間を消費させる産業システムはいまだに未成熟である。そしてここに、私たちが推進する“快適空間を消費する四次元機械ゲーム”の世界の大きな需要が存在しているのである。
P.211
夢を実現するのが私のビジネス
シグマが追求する方向性は大きく二つに分かれている。ひとつは、世界中の人々がより快適な空間、より楽しい時間の経過を求める中で、海外ではカジノに供給するマシンを開発・製造することである。
現代のカジノは、もはや“鉄火場”のイメージのギャンブル場ではない。カジノを公認する国はますます増加するだろうし、ギャンブルであってもエンターテインメントの一部として存続し、必要不可欠なものになっていくだろう。それが世界の趨勢である。家族連れが楽しめる、カジノを含めた総合エンターテインメント施設に、今後もシグマが何を提供していけるかである。
P.212
もうひとつは、日本において、メダルゲームというシステムに乗せられる、より面白い機械ゲームを世界中から導入し、自社でも開発し、さらにそれらを楽しめる快適な環境を提供していくことである。
シグマの最大の目的は、快適空間の中で、お客様にストレスのない、より充実した楽しい時間を過ごしてもらうことにある。私たちは専業オペレーターとして出発したし、私たちの目的は、現在も将来も、最も進歩した四次元ゲーム空間を作り続けることにある。
P.215
現在の機械ゲーム産業にリスクがあるとしたら、まずあまりにも新製品の寿命が短くなっていることである。これは危険な兆候である。新しいゲーム開発の意欲をそぎ、メーカーもオペレーターも疲弊してしまうからだ。
P.217
機械ゲーム産業もそろそろ飽和点に達したと見られている。
あらゆる産業にとって、飽和点に達してからが本当の勝負である。新興の産業が拡大する勢いに押されているうちは、サービス業としての真の努力や価値がそれほど目立ってこないものである。飽和点に達してからは、それらの努力が勝負の分かれ道となってくる。
P.219
Never Give Up
これまで述べてきたように、四次元ゲーム産業は、「自分の時代」の流れのなかから、またハイテクノロジーという人類文明の進歩のなかから必然的に生まれてきたものである。その必要性が高まるのは、むしろこれからなのだ。
機械ゲームの祖は、世紀末に生まれ、あるいは大恐慌の時に誕生した。もともと乱世に強い、最も身近なレジャーとして受け入れられてきたものである。人間がいる限り機械ゲームのニーズはしぼむことは決してないし、機械ゲームは永遠に不滅である。なぜなら人がそれを求めるからである。
P.220
空に輝く虹をつかもう
私は最近よく、社内で「虹をつかもう」と話している。もし虹をつかめないとしたら、つかみに行く努力をしていないからである。踏むべきステップを着実に踏んで、前に立ちはだかる障害をひとつひとつ乗り越えていけば、虹は間違いなくつかめる。
私たちが歩んできた道の延長線上には、あらゆる意味でバランスがとれた成熟社会がある。その社会で、四次元ゲーム産業は更に花開くだろう。志を同じくする人たちと一緒に力を合わせて、この道を歩み続けたいと考えている。
時に、「座右の銘は何か」と問われることがある。とくに座右の銘といえるほどのものはないが、いまは次の言葉が気に入っている
「静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く」(経済学者ワルラス)
要約:株式会社フロック 高倉章子
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